現実に最も近いところで物事を判断する

アマゾンのシステムを支えたリック・ダルゼルがジェフ・ベゾスの優れている点について「現実に1番近いと思われる事を前提に意志決定することができる」と言う点を挙げている(ジェフ・ベゾス果てなき野望)。

これは大事なスキルだと思うので、備忘のためにこの記事を書いておきたい。

重要なのは「現実に1番近い」と言う点だ。現実を前提に意思決定すれば良いのに、なぜ「1番近いと思われる事」なのか。それは人が「現実」を前提に思考できないからである。

まず「現実」とは何なのか。これを先に整理する。

「現実」は至極無味乾燥なものである。にも関わらず人はこれを無味乾燥なものとして捉えることができない。人は「現実」を捉えるとき、それに味を付与し、湿り気を持たせてしまう。つまり「現実」を有味湿潤なものにして知覚してしまうのだ。しかしながら物事の意思決定の拠り所となるべきは無味乾燥な対象であり、言い換えれば「純粋な出来事」である。なぜなら、知覚者の主観で評価された味や湿気は「現実」ではなく、意思決定の際の視座を歪め、判断を偏らせる要素になるからだ。味や湿気を知覚者の「評価」として言い換えると、「現実」とは以下の通りだ。

「現実」はあらゆる感情を含んだ「評価」から切り離された純粋な事柄でありそれ自体は“単なるモノ・コト”である。

そして、人がこの「現実:“単なるモノ・コト”」を認識する際に「“単なるモノ・コト”」として受け入れることができないのは、二つの副産物とセットで知覚してしまうためだ。

副産物の一つは「認識フィルター」であり、もう一つは「パターン認識」だ。

認識フィルター」は文字通り認識のフィルターである。“単なるモノ・コト”を自分の都合や境遇で善悪正誤のレッテルを貼って知覚してしまう。これによって“単なるモノ・コト”が色を帯び、好き嫌いの対象になる。すると意思決定の際のノイズになってしまうのだ。

「認識フィルター」を取り去るには意識的に感情と事実を切り離して考えるトレーニングをする必要がある。また、自分の境遇や都合についても事実と切り離して把握しておく必要がある。特に感情的な事件の渦中にいると人は「認識フィルター」の存在自体を忘れ、レッテルに盲信しがちだ。

渦中にいてもレッテルを剥がすためには「目標を常に具体化しておくこと」と「盲信しそうな感情を察知すること」が大事だ。具体的な目標があれば優先順位が定まり、取るべき行動を選択できる。「盲信しそうな感情」は人間の本能に近いのでここから抜け出すのは理性の見せ所だ。自分が何を求めて「全力を出しているのか」「イライラしているのか」「そわそわしているのか」。そのとき求めているものは「『目標』に合うのか」の問いに答えられるのか、この勝負である。この時、目標が曖昧だと「『目標』に合うのか」の問いに答えることができずに、盲信から脱出できなくなってしまう。多くの人は曖昧な目標(時に夢)しか抱えておらず、「盲信しそうな感情」をコントロールできない。つまり「認識フィルター」を前提に意思決定しているのである。

パターン認識」とは事実を因果関係で認識しようとする人間の癖である。事実を把握した時に「これは○○だからこうなったんだな」とか「彼は○○なタイプだから、こう言う判断をするんだ」と事実に理由をつけて認識しようとする。

人間がこうするのは脳のメモリを軽くしておきたいためだ。人は突発的な事象に瞬時に対応するため脳に常に余裕を持っていたい。余裕を持つためには一つ一つのことをゼロから熟慮して判断するのは負荷がかかりすぎるので避けたい。そうなると、事象をパターン化して管理するようになる。パターンごとに対応方法を設定しておけば、都度都度思考せずとも素早く対応できるからだ。

しかし、問題なのはこのパターン認識が常に不十分であると言うことである。

我々が因果関係として想定できるパラメーターは、個々人の知見に依って限られており、必ず見落としが存在する。また、見落としが存在するだけならまだしも、誤ったパラメーターを因果律に組み込んでしまうことも多い。さらに、そもそも人類が把握していないパラメーターが対象の事実に作用していることも多く、この場合、人の知る全てを根拠にしても一つの事象を判断するには十分ではないのだ。これはNNTの言う“講釈の誤り”に近い(ブラック・スワン)。

「パターン認識」は避けようにも避けられない。トレーニングしてみればわかるが、人がパターン認識を辞めるのは至難だ。ではどのように事実に接近したら良いのか。それは「パターンが不十分である」ことを常に自覚することだ。我々はその時の都合や境遇で事実の一面(ないしは二面)をみてパターン認識している。この時「講釈の誤り」が発生していることを自覚することで、事実に触れることはできなくても、接近することができるようになる。

以上から、「現実」は多くの人の目の前にありながら、それに触れることは困難なものである。

数値データにした情報であっても、そのデータを作成した人間の「認識フィルター」が反映されていたり、大事なところを「パターン処理」していることは多い。これらを見抜くとなると、そのデータを根拠にできるか判断する際にも脳にかかる負荷は重大だ。

以上から、「現実に最も近いところで物事を判断する」ことができるのは高度なスキルであり、日常的に行うと疲弊する。しかしながら感情に流されたり、パターン処理しているうちは現実とは別のところで意思決定していることは否めない。

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